会話は娯楽

留学から帰ってきて、「人に会うこと」に対する壁(みたいなものがあるとすれば)が低くなった。留学前は、人に会うには自分がしっかりしていなきゃダメとか、会うならきちんとした理由が必要、など考えていた。誇れるような何かを成し遂げたり、報告できるようなニュースがあったり、仕事や何かで必要に迫られないと会っちゃいけないんじゃないかと。


今はそんなこと考えていない。京都に日帰りで行く予定ができた次の瞬間に思いついたことは、関西に住む元同僚と会うこと。すぐに「お茶しましょー」と連絡した。


これは留学先で出会った人たちの思考回路・行動の影響が大きい。彼らの多くは、人とよく話すし、日常の些細なこともシェアする。自分の弱いところ・ダメなところもさらけ出す。オープンで考えていることがわかりやすい(特にアメリカ人はそんな感じの人が多くて憎めないキャラだったな)。そして友達に会う、というのが主目的で旅行に行ったりする。旅先を決める際、「友達がそこにいるから、そこに行こう、ついでに一緒に観光しちゃおう」ってノリで。出張などで旅行に行く際、FBなどで「〜日に○に行くよ、誰かその日にそこにいたら会おう」と気楽に投稿したりもする。


留学前は、見た目や自分の中身に自意識過剰になっていたのかもしれない。こうでなきゃっていう思い込みに捉われて、いまは太っているからとか、仕事ができないとか頭が悪いから、会う人が私と一緒にいてつまらないんだろうから会うのはまたの機会にしようと思っていた記憶がある。(もったいなかったな〜)


今は見た目が改善されたとか、頭がよくなったとか、口下手が改善されたとか、そういうことはないのだけど(笑)、自分の見た目や中身に対して必要以上にフォーカスしなくなった。自己肯定感がベースとしてあるのかもしれないけれど。

では焦点がどこに向いているかというと、人(相手)、人と自分との会話で出てくること、会話により引き出される自分の考え、など。話したいと思う理由は、人のことを知りたい、新しい考え・知識を得たい、おもしろいことを一緒に笑いたい、相手を応援したい、何かを聞かれたら自分の言葉で話したい(世の中で言われていることを、標準的なことを言うのではなく、自分が感じたことを正直にシェアしたい)、というようなこと。話すときに心がけていることは、自分の言葉で話すこと。借り物の言葉ではなく。自分の言葉で言いたいことを表現できたとき、気持ちがいいし、本音だからこそ相手にも響くと思うから。当たり前のようなこと、世の中で言われていることを私の口から聞くことは私も話していてしっくりこないし相手もつまらないと思うから。相手の考え方を知って視野を広げるのが会話の醍醐味だから、私も私なりの視点を、考え方を提供して相手と会話を楽しみたいと思っている。


言葉というツールを使って相手を理解すること、自分を表現すること、会話を楽しむこと。お互いをより深く理解できることのおもしろさ。予想できない反応、考えが返ってきて、思ってもみなかった方向に展開していく醍醐味。人に会う、話をするってことの楽しみを教えてくれたのが留学生活だったのかもしれない。

さらに、いまや日本にいるので、多くの人と(私にとって使い勝手のいい)日本語で話せる嬉しさもあって、話す機会にさらにわくわくしているのかもしれない。言葉を覚えたての幼児のように、言葉を使って新しいこと・おもしろいことを見つけてお互いが楽しい時間を過ごすのが今の私の最高の娯楽です。