英語を勉強すること・共通の言語をもつことのメリット(1)

新しい年が明けました。今年は日本帰国は諦めて(過去記事→「年末年始は欧州&米国東海岸を堪能することに☆」)、トルコのカッパドキアで年越し。大みそかは、よくある年越し(お酒を片手に、大音量のクラブで踊ること)も考えたけれど、帰り道に疲労と空虚さが残るような気がして、読みたかった本でも読もうかなとホテルに戻ったのでした。ところがひょんなことからとあるトルコ人(オージーという名前だったような)と5時間(!)話をしつづけ、気がついたら新しい年を迎えた感じです。今日はその人と一緒にハイキング。カッパドキアの岩々を背景に焚き火をして、あったかい紅茶をいただいて、持ってきたパンやピーマンをBBQのように炭火で焼いておいしくいただいて、冗談みたいな話や人生論みたいな話もして、帰ってきました。

一緒に楽しい時間を過ごしたあと、「英語が理解できるっていいことだなぁ」としみじみ感じました。共通の言語を持っているだけで、私と全く違う経歴・背景を持っている人といろんな話ができて、考え方にいい刺激を受けて、お互いに時間を過ごしたことを感謝できるってすばらしいな、と。(このトルコ人はアイルランド勤務経験があるので英語が話せます)

私は人のストーリーや考え方などを聞くのが好きなので(昔から伝記とか夢中で読んでいたし)、英語を理解できるだけで全く違う世界の人たちと一緒に楽しい時間を過ごすことができたり、話ができるのがとっても幸せです。英語で話しているけれども、言語については気にならず、その内容だけが頭に入ってきている自然な感じでした。

アメリカに留学した目的は英語を勉強するためではないけれど、結果として英語が少し上達して、いろんな人と話ができるようになったことに感謝しています。いま、近くで語学を勉強している人がいるのですが、一生懸命勉強している姿って素敵だなと思います。マドリッドにいたときも、スタバでアメリカ人から英語を習っているスペイン人がいて、まだ英語は拙いけれども一生懸命話している姿にすがすがしい気持ちを抱いたことを思い出します。自分の英語を人に聞かれてはいないかと人目を気にしているのを見て、ますます応援したくなりました(^^)。ちなみにこのアメリカ人(レッスン提供者)が仮定過去完了(もし〜していたら、・・・だったかも、みたいな文)をこのスペイン人(生徒)に説明していたときに、スペイン人がまじめな顔で「僕はこの表現をしないと思うから覚える必要がないと思う」と言っているのをきいて、いいキャラしているなぁと笑いそうになりました。

私は語学勉強が趣味なタイプではないので、語学の勉強が苦痛、という人の気持ちがよくわかるのですが、英語が理解できるようになるとこんなおもしろさがある、ということをシェアしたくて記事にしちゃいました。私もまだまだ言いたいことがきちんと言えないし、相手の話している単語などの意味が理解できないことも多々あるのに(けれどわからないときに、相手に聞きなおすことはできるようになりました★)、しばらく英語勉強をお休みしていたので(英語の本やケースを読んで、わからない単語の意味を調べることなく、「まいっか」とほっておいていました)、英語勉強を再開しよう・小さなことをコツコツやっていこう(→過去記事「留学中の英語…上達したの?」)と思い出すきっかけになりました。

素晴らしい年越し・元旦にしてくれたこのトルコ人とはもう会うことはないかもしれないけれど(ネットを使わないようなので連絡先は交換せず。縁があればきっとまた会えるでしょう(^^))、素敵な出会い、数々の親切、いろんな話をしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。